通信制高校に進んでも、親子関係はすぐには変わらない|それでも少しずつ前に進んでいる

母のひとりごと

こんにちは、こかげです。

「通信制高校に進学したら、きっと少しは楽になる。」

私は、本気でそう思っていました。でも実際は、親子関係も私の気持ちも、そんなに簡単には変わりませんでした。

今日は、わが家のちょっと情けない、でも包み隠さない正直な話をさせてください。息子のことでイライラして、家の中が険悪になる。そんな日が、今でも普通にあります。

息子は中学時代の不登校を経て、現在は通信制高校に進みました。「環境が変わって前より落ち着いたでしょう?」と聞かれることもありますが、親子関係は今でも決して、毎日なだらかにうまくいっているわけではありません。それが、わが家のリアルな現実です。

「親の自立」もうまくいかない。一直線には進めない育児の螺旋階段

不登校のお母さんなら、この感覚を分かってもらえるんじゃないでしょうか。

子育ての悩みって、本を読んだり誰かに相談したりしたからといって、そんなに簡単には解決しませんよね(笑)。

「子どもにべったりになるんじゃなくて、私は私の人生を生きなきゃダメだな」「自分のための時間を楽しもう」と、これまでに何度も心に誓いました。けれど、それだってそう簡単にはうまくいかないのです。気づけば、また同じ不満や不安の場所に引き戻されている自分がいます。

息子のちょっとした行動が気になって、つい余計な口を出して、お互いにイライラして。

夜になると「ああ、また言い過ぎた」と自己嫌悪。朝になると「今日は口を出さない」と決める。そして夕方には、また同じことを繰り返す。

「あれ、私また何ヶ月前と同じことを繰り返してる……」と、自分の進歩のなさにガッカリすることの繰り返しです。

本当なら、右肩上がりに一直線に成長できたら格好いいのですが、現実はぐるぐると、同じところを何度も回っているような感覚です。でも、キャリアコンサルタントとして多くの人の人生の転機に立ち会ってきた目で見ても、人の心の回復や変化は、一直線ではなく「螺旋階段」のようなものです。同じ場所を回っているように見えて、実はほんの少しずつ、前とは違う高さへ上がっている。そう自分に言い聞かせながら、今日も一歩ずつ進んでいます。

「子どもに期待しない」という、終わりのない修行

頭では、痛いほど分かっているんです。子どもを親の思い通りに動かすなんて、そもそも無理なこと。期待しすぎてもお互いに苦しくなるだけ。だから「期待を手放そう」と。

そう何度も自分に言い聞かせています。言い聞かせ続けないと、つい無意識に「これくらいはやってくれるだろう」と期待してしまい、その通りにならなかったとき、勝手に裏切られたような気持ちになって怒りが湧いてきてしまうからです。

この「期待しない」と心から決めること自体が、親にとってはなかなかの厳しい修行ですよね(笑)。

周りを見渡して気づいた、それぞれの場所にある「普通の苦労」

そんなふうに、家の中で一人モヤモヤと煮え切らない思いを抱えていたある日、ふと周りを見渡してみたんです。

学校へ行っている子にも、それぞれ苦労があります。

反抗期。受験。ゲーム。

外からは見えないそれぞれの大変さを抱えながら、みんな生きているんですよね。

正直なところ、「学校に行けている家庭の悩みと、不登校を同じにはできない」と感じる日もあります。学費や将来への不安、世間の目。不登校だからこその独特なしんどさは確かにあります。そこは綺麗事にせず、正直に書いておきたいと思います。

それでも、です。「子育てって、もしかしたら、これくらい思い通りにいかなくてイライラするのが、本来の『普通の苦労』なのかもしれない」

そう思えたとき、不思議と肩の力がふっと抜けました。「自分だけが特別に子育てに失敗しているんだ」と思い込んでいると、孤独の沼にどんどん沈んでいってしまいます。でも、「形は違えど、みんなそれぞれ泥臭く苦労しているんだな」と思えたとき、孤独の重みがほんの少しだけ軽くなる気がしました。

だからこのブログは、「うまくいかない日」のリアルな試行錯誤の記録

このブログは、「不登校を私はこうして完璧に乗り越えました!」という眩しい成功談を語る場所ではありません。

今現在もうまくいかなくて頭を抱えているし、これからもきっと、ぐるぐると同じ場所を回りながら、ため息をつく日があるのだと思います。

だからこそ、この場所は、「きれいごとでは解決しない毎日のなかで、親はどうやって自分の気持ちに折り合いをつけ、整えていくのか」という、リアルな試行錯誤のプロセスを届ける記録でありたいと思っています。

きれいに解決しない泥臭い毎日だからこそ、今まさに内側で熱いマグマを燻らせている誰かに、「あ、うちと同じだ。あの家もマグマを抱えながら生きているんだな」と、一息つける安心感を持ってもらえたら。それだけで、私がこのブログを書く意味は十分にあると思っています。

きっと私は、また息子にイライラします。また自己嫌悪もします。

それでも、少し前の私とは違う。「また同じ場所に戻ってしまった」ではなく、「螺旋階段を一段上がって、またここに来た」。そう思えるようになりました。

👉 家の中が険悪になってしまったとき、私がどうやって自分の機嫌を外で取り直しているのか。具体的な「心の逃がし方」については、こちらの記事で書いています。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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