「見ている世界が違うと、気づいてしまった」カウンセラーの言葉が3年後に分かった日

不登校のこと

こんにちは、こかげです。

「息子さんは、みんなと自分が見ている世界は違うと、気がついてしまった。」

カウンセラーにそう言われた日、私は、何の話?と思いました。

その意味が分かったのは、3年も経ってからでした。

私は最近になって、やっと息子のことを分かり始めました。すると、過去がつながり始めたのです。

息子は「高機能ASD」の特性があって、無意識に「マスキング(カモフラージュ)」をしていたのだと思います。

マスキング(カモフラージュ)とは、自分の特性を抑えて、周りに合わせようと振る舞い続けることです。調べていてこの言葉を知ったとき、衝撃でした。

本人は「隠そう」と意識していたわけではないと思います。無意識に、普通に合わせようとしていた。その結果、心身ともに疲弊して、限界になって、学校に行けなくなった。

カウンセラーは、あの日すでに私に伝えていた。そう気づいた時、一気に過去の日々が頭のなかで蘇りました。

なぜ、気づくことができなかったのか。

毎日そばで見てきた母親が、なぜ息子のサインに気づけなかったのか。この記事では、それを振り返ります。

※息子はまだ診断を受けていません。母親である私の憶測の話として読んでいただけたら嬉しいです。

元小児科医のカウンセラーに言われた言葉

息子が不登校になって、半年ほど経った頃。

職場の同僚に、思い切って悩みを打ち明けました。そのとき、このカウンセラーさんを紹介されました。

私より少し年上かな?と感じた女性。過去に小児科医をされていたと話されていました。

この仕事では本当に子どもを救えないと限界を感じ、医師という職業を辞めた。今は、セラピスト兼カウンセラーをされている。そう同僚から聞いていました。

紹介してくれた同僚が、こう話していました。

「先生は、大切なことやヒントをサラッと言われる。私はせっかく良いことをおっしゃってくださってるのに、あの時そう言ってたなって、後から気づくことが多いのよね」

本当に医師なのかな。最初に私は、そう思ってしまいました。

経歴なんて、なんとでも言えるし。本当だろうか。医師を、わざわざ辞める人なんているのかな、と。

それでも、もしかしたら息子の不登校が治るかも(当時、治すものだと思っていました(笑))。まったく事情を知らない第三者なら、なんて言うのか。意見を聞いてみたい気持ちもありました。

カウンセリング料は、60分1万円でした。もし意味がなかったと思えても、まあいいかと思える金額でした。それも、受けてみようと思った理由の一つです。

半信半疑な気持ちで、予約を入れました。

会えたのは、1か月後です。

当日は、やはりドキドキしました。それと同時に、期待もしていました。

彼女は、息子に会ったこともないのに、こう言いました。

「心配しなくていい。彼はちゃんと進学もするし、自立し生きていける」

この時、本当ですか?と思いました。まだ、不登校の一番苦しい時期だったからです。

そして、なぜ不登校になったのかについて、こう続けました。

「息子さんは、みんな自分と同じ世界を見て、同じように感じていると思っていた。けれど、ある時、みんなと自分が見ている世界は違うのかもしれない。気がついてしまったんだよ」

見えてる世界が違うって、どういうこと?

私はその時、この言葉に、まったくピンと来ませんでした。

答えを、目の前に出してもらっていたのに。

その時の私には、その言葉の本当の意味を受け取ることができませんでした。

息子は、その言葉を理解した

実はこの話には、続きがあります。

カウンセラーに会ったその日、私は息子に、言われたことをそのまま伝えました。

深く考えることもなく、ただ言葉通りに。

すると息子は、寝転びながら、ふーんという感じで、こう言いました。

「会ったことないのに、分かるんやー」

あの時、息子はあの言葉をどう受け止めていたのでしょうか。

なんとなく、今さらもう一度聞くのもどうかと思ってしまって、確認できずにいます。

カウンセラーの言葉だけじゃない。息子の「会ったことないのに分かるんや」という反応そのものが、二つ目のサインだったのに。

でも今、やっと、あの言葉がそういう意味だったのかと腑に落ちる日が来ました。

「みんなと見ている世界が違う」と、本人が気づいた日

小学生までは、考えることもなかったのだと思います。

自分の見ている世界、感じていることが、周りのみんなと違う。自分の「普通」と、みんなの「普通」は、違う。

小学校低学年の頃は、周りもまだ幼い。だから違いを意識することもなく、過ごせていたのだと思います。

でも思春期に入って、自分のことを深く考え始めたとき。周りとの違いも、同時に見えてくる。

みんなはどんどん変わっていく。自分も、みんなとは違う方向に変わっていってる。それを感じ始めた時。

息子の不登校がこの頃に始まった理由も、今ならよく分かります。

息子は、サインを出していました

思い返すと、息子はたくさんのサインを出していました。

なぜ私は、気づくことができなかったのか。

勉強ができるから、大丈夫だと思っていた

理由は、たぶんこれです。

息子は、学校の勉強がよくできていた。だから、普通になんでもこなせるはずだ。困っていることなんて、ないだろう。

小学校でも中学校でも、友達とのトラブルは一度もなく、先生からも「いい子ですね」と言われ続けていました。

息子は、あらゆるジャンルの本をよく読んでいました。中学受験塾の入塾テストでも国語の成績が良く、「塾に通ったことがないのに、この結果はすごいですね」と言われたほどです。

そういうところからも、人の心情を理解する力、その場での「正解のふるまい」を理解する力があったのだと思います。

学校ではトラブルなく、むしろ褒められることが多い。だから私は、息子の内側で起きていたことに、まったく気づくことができませんでした。

今なら分かる、あの頃のサイン

その反面、気づけたはずのことも、たくさんあります。

ひとつは、学校で誰かが先生に怒られている場面を、自分のことのように感じてしまうことでした。

「今日は、〇〇くんがこんなふうに怒られていて……」と、いつも私に話してくれました。私は、「自分が怒られたわけではないから、気にすることないよ」と伝えていました。

小中学生の男子が怒られるなんて、日常茶飯事です。当の本人は、たぶんそんなに気にしていない。

なのに息子は、「なぜ、怒られることをするのか」「なぜ、先生はあんなに大きな声で怒るのだろうか」と、ずっと理解できないと訴えていました。

小学校低学年から中1の夏まで。息子はいつも、そのことを私に話していました。私は、息子が怒られたわけではないので、気にも留めていませんでした。

また、学校ではみんなと仲良くしているのに、放課後の誘いには一切応じず、「部屋でゆっくりしたい」と言っていました。

ここも、気づけたはずでした。でも息子は、はやりのゲームを好まず、ゲーミングPCで大人が好むような歴史や戦略のゲームをしていたので、「趣味が合わんから遊ばないんやなー」ぐらいに、気楽に考えていました。

寺社や歴史的な場所、博物館に行きたがる。連れて行くと、一日コースです。

長いなあ、そんなに見たいものがあるの?と不思議に思っていました。でも、ここでも「頭がいいから」と、肯定的に捉えていました。

チームスポーツを嫌い、自分のペースでできる、自分との闘いである登山が好き。人が少ない山ほどいい、と言う。「一人で登山に行くのが夢」と、ずっと言っています。

でも今なら分かります。一人になれる安全な場所を、確保したかった。

息子は、「求められていること」が分かる子でした。大人が何を期待しているか、どう振る舞えば褒められるか。それが分かってしまう。

その「いい子」の姿こそが、無意識に合わせ続けた結果だったのかもしれない。

私は、息子の頑張りの結果だけを見て、「この子は大丈夫」と安心していたことになります。

気づけなかった大人の中に、母親の私がいました。

👉 息子の発達特性に気づいていくまでの話はこちらの記事に書いています。

無意識に頑張っている先に

彼は、意識的に頑張っていたのでしょうか。

きっと、無意識だったと思います。それが普通だと、思っていた。

しかし思春期を迎え、本当の自分を自覚し始め、苦しくなってしまったのだと思います。

大人から見れば「いい子」。でも本人は、毎日少しずつ、なんでこんなにしんどいんやろと思いながら頑張っていたのかもしれません。

これを何年も続けるのは、無理ですよね。

「自分は、みんなが楽しいと感じることに、興味がもてない」

「みんなと一緒に行動することが、苦痛だ」

違和感が増えていくことで、自分というものが分からなくなる。

だから、動けなくなった。

息子が学校へ行けなくなったのは、サボりでも甘えでもなく、頑張り続けて、もう立ち上がれないほど気力を使い果たした状態だったのかもしれない。

無意識に頑張っていたからこそ、本人も「なんでこんなに疲れるのか」が分からなかったのだと思います。

「なぜ?」が、少しずつ紐解けていく

息子は、なぜ学校へ行けなくなったのか。

ずっと、その「なぜ」に思い悩んできました。

理由が分からない不登校。反抗期なの?そんなふうに考えた時期もありました。

でも今なら、こう思います。

その理由は、私たちの見ている世界の中には、なかった。息子の見ている世界の中に、あった。

だから、見つけられなくて当然だったんです。

理由が分からなかったからこそ、私たちの価値観で、不登校の理由を考えていました。

だから、あの頃の私は、息子を無意識に責めていました。

この子はダメなのでは?

サボっているのでは?

逃げているのでは?

口には出さなくても、心のどこかで、そう思っていました。

ただ、学校に行けなくなったことを、そのまま受け止めればよかった。

理由を探さずに、ただ、今日も行けなかったねと言えばよかった。

行けなくなって、一番つらいのは息子だった。

それを理解できていたら、私の目も、言葉も、きっと違っていたはずだからです。

👉 試験会場から2回逃げた息子が、もう一度チャレンジできるようになるまでの話はこちらの記事に書いています。

やっと、入り口に立てた

カウンセラーに答えをもらってから、3年もかかりました。

もっと早く、あの時、気づけていれば。

過ぎた日は戻りません。

けれど、息子は息子で悩み、私たち親も悩み、毎日息子を見て、悩んで、振り返って。

その積み重ねがあったから、今やっと、あの言葉が腑に落ちたのだと思います。

同僚も、こんなふうに後から気づいた経験をされたのだろう。今なら、そう思えます。

カウンセラーはあの時、「心配しなくていい。彼はちゃんと進学もするし、自立し生きていける」とも言いました。

息子は今、通信制高校に進学し、自分のペースで歩いています。

カウンセラーには何が見えていたのでしょうか。聞く勇気がなくて、なんとなく今じゃない気がして、あれからカウンセラーに会っていません。彼女には何か見えていたのでしょうか?それとも元医師だから、分かったのでしょうか?

私はこれからも、「なぜ学校へ行けなくなったのか」ではなく、「息子は何を感じていたのか」を知ることが出来ればいいなと思っています。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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