はじめまして。こかげです。
息子が不登校になったとき、一番苦しかったのは、「理由が分からない」ことでした。
いじめでもない。勉強でもない。先生との大きなトラブルでもない。
「じゃあ、どうして学校へ行けないの?」
その答えが、中学時代は分かりませんでした。
理由が分からないから、「私の育て方が悪かったのでは?」「何か見落としていたのでは?」と、長い時間ずっと答えを探し続けました。
でも、はっきりした理由の見えない不登校は決して珍しくないことだと、後々気づきました。
そして、理由が分からないのは親だけではありませんでした。本人も、やっぱりよく分からなかったのだと思います。
このブログは、その答えを探しながら、いまも手探りで進んでいる記録です。
息子のこと
小さい頃は、手がかからない子でした。
大きな困りごともなく、勉強もそれなりにできて、「育てやすい子」だと思っていました。
本人の希望で中学受験をし、私立中学校へ進学。ここまで本当に順調だと思っていました。
中学1年の秋。体調を崩し、少しずつ学校へ行けなくなりました。その後、本人の意思で私立中学校を退学。公立中学校へ転校しましたが、通えたのはわずか10日でした。
約2年間の不登校。過敏性腸症候群、親子関係の悪化、家出、進路への不安。「この先どうなるんだろう」。そんな思いで過ごした毎日でした。
いま、分かり始めたこと
息子はその後、通信制高校に進学しました。
似たような状況のお子さんが多いことに驚きました。そして、理解のある先生に出会えたことが、大きな転機になりました。
実はそれまで、息子が学校に通えない理由を、私は「怠け」や「我慢ができないわがままな性格」、「甘え」だと受け取っていました。
だから、負担の少ない通信制高校なら何の問題もなく通えるだろう。そう考えていました。
でも、学力は問題なくても、通信制高校でもつまずきました。
そこでようやく、「本人の努力や性格の問題ではないのかもしれない」と思い始めました。
ただ、その先の答えが出たわけではありません。いまも答え合わせの途中です。
このブログについて
不登校には、本当にいろいろな形があります。だから、このブログにも「こうすれば解決する」という答えはありません。
書いているのは、わが家が通信制高校でもつまずいた経緯と、そこから見えてきたことです。
※わが家の場合の話で、どのご家庭にも当てはまるものではありません。
人それぞれ違うと分かっていても、どこかの知らない誰かが進んだ道を、少しでも知りたい。
私自身がそうだったので、その一つとして書いています。
私のこと
大阪在住、アラフィフの会社員です。
以前は就労支援の仕事に携わっていました。いろんな年代の方が、それぞれの事情と悩みを抱えて働き方を模索する姿に接するなかで、「人が働くとは」「社会に出るとは」と、考えさせられることが多くありました。
そして、そんな私自身も、働くことに悩んでいました。
だから、国家資格キャリアコンサルタント、ワーク・ライフ・ファシリテーターなどを取得し、キャリア理論や心理学を学んで答えを見つけようとしました。
こんなに悩んで答えを探してきたのだから、今更ですが、私も息子と同じような性質を持っているのかな、と思います。
私は、常に「普通探し」をしていました
留学に行けた。アルバイトが出来た。そういう出来事を一つ一つ確認して、「こんな普通のことができるのだから」と大丈夫だと、自分に言い聞かせていました。
息子の中に「普通」を探していたのだと思います。
そうやって数えあげているあいだは、「じゃあ、どうして他のことはこんなにしんどいの?」という一番知りたいところを、見ずにいられました。
今になって思うのは、「息子のことが理解できない」と言いながら、私だって同じように悩んできたということです。
ブログを書いて気づいたこと
ブログを書き始めて、一番変わったのは私でした。
書くことで、いまの考えや気持ちを、いったん形にする。そうすると、自分が何を思っているのかを、自分で確認できます。
そして書きためたものを読み返すと、同じことを何度も書いているのに気づきます。少し進んだと思っても、また同じところで悩んでいる。
でも、人の成長は一直線ではなく、進んだり戻ったりしますよね。息子も私も変わらないと感じることが多いけれど、振り返れば決してそうではないと言うことも多いです。
最後に
以前の私は、絶望的な未来しかないと思っていました。
今も、先は分からないし、中学時代の不登校に悩む日々より、もっと苦しい悩みが新たに始まるかもしれません。
それでも、あの頃よりは息子のことが少しだけ分かるようになったんじゃないか? それが希望の灯りとなっています。
その「少し分かったこと」を書きためています。